土佐藩参政:吉田東洋 [NO.2・番頭・社長室長]
番頭というよりも参謀タイプ?吉田東洋
富国強兵論・門閥政治打破・流通機構の統制強化・洋式兵器の採用などの藩政改革を行なう
藩内の保守派との対立。当時、下士中心の政治集団となっていた土佐勤皇党とも対立し暗殺される。
上士と下士の身分差別が激しかった藩内で先祖が元長宗我部氏の重臣という立ち位置であったが、藩内の潤滑油となることはできなかった。
【出自】
父の死去により家督を相続、翌年平井善之丞の推挙により船奉行に任命。土佐藩13代藩主豊熈に気に入られる。人員削減の際にも豊熈の希望で残留。郡奉行に抜擢。
【山内容堂】
新藩主山内容堂に「北条泰時論」を提出し高い評価。大目付に任命。ペリー来航時、容堂に命じられ開国拒否の意見書を幕府に提出した。海岸警備強化の為に郷士や地下浪人を動員する民兵制度を容堂に進言。容堂の信頼を得て参政に抜擢された。
【鶴田塾】
謹慎時に私塾を開講。門弟の後藤象二郎・福岡孝弟、岩崎弥太郎は明治で活躍。
2013-02-05 21:52
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