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祖先を大事にしよう [マネジメント・人間学]

第24回フジサンケイグループ主催「正論大賞」を受賞した加地立命館大学教授の受賞記念東京講演会での講演

戦後の日本の教育が本来、日本人の文化や伝統とは合わない「欧米流の考え方」を取り入れてしまったことに大きな問題があったと指摘。  「(欧米人の)『自由』や『個性』の概念は『神』という抑止力があってこそ成り立つ。それがないと、単なる利己主義になってしまう。われわれの抑止力は『祖先』で、祖先を敬う考え方が残っているのは東アジアだけ。今こそ日本人に合った教育を取り戻すべきだ」と述べた。


■講演要旨
 日本の戦後教育は「欧米のものまね」だった。だから日本人には合わないところがある。フランス革命が教えた「平等」なんて、学校で言うから子供たちの苦しみが始まるのだ。  東アジアには東アジアに合った教育があった。人間をどう見るか、人間に合うようにどう教育していくか。それを体系化したのが儒教だった。実は儒教は、「人間平等」なんて思っていない。1、2割は優秀だが、あとはボンクラというのが儒教の人間観だ。  だが、今の学校は「みんな優れている」「個性がある」という。儒教は優秀な人は相手にしない。優秀な人は自分で切りひらく。ボンクラをしっかり教育しようというのが儒教だ。難しいことは教えないで、大事なことをしっかり教えよう。だれもが学び、理解できることを教える。それが「型」なのだ。学校の大切な役目は「型」を教えることにある。大半の人は型を教えないと、どうしていいのかわからないからだ。わけもわからないままに社会にでてから困る人がどれほど多いことか。  「平等」「自由」もまた問題だ。本来は欧米の思想であって、(戦後教育では)教え方がまちがっている。自由というのは欧州では、自分で自分を律する(自律)。自分で律することができなかったら自分で立つ(自立)ことができない。立てば自己責任が出てくる。これができてはじめて個人主義が成り立つ。  なぜ欧米人にはそれが可能なのかというと、抑止力をもっているからだ。「神」が許さないのだ。欧米人には、唯一、絶対、最高の「神」が抑止力としてあるが、わが国にはそこが抜けている。それがないまま「個性」や「自由」を教えると、単なる利己主義になってしまう。  われわれにもかつては抑止力があった。東アジアの人間に共通する「祖先」だ。中東の地域ではユダヤ教やキリスト教、回教の一神教が生まれたため、祖先を敬うような考え方にはならなかった。祖先崇拝の大切さが残っているのは東アジアだけなのだ。


(産経 2009/4/23)


2009-05-07 00:21  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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